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執筆者の写真nankotsuliving

解像度高いか低いか




植物学、薬草学の研究のために描かれた植物画=ボタニカル・アート。英国キュー王立植物園所蔵のボタニカル・アートのうち、食用(野菜、果物、ハーブ、スパイス)となる植物を描いたボタニカル・アートを展示し、イギリスの食文化を俯瞰する。


子供の頃、図鑑は小学館派だった。学研の図鑑は写真満載なのに、当時の小学館の図鑑は一部写真はあるものの、動物も植物も基本的にすべてイラスト。動物図鑑では、大好きなインパラやトムソンガゼルもイラストで描かれていて、それらを眺めるのが何よりの愉しみだった。写真のリアルよりも、イラストのリアルのほうに心惹かれたのだ。写真だとどうしても背景込みとなるのに対し、イラストは対象物だけがしっかりと見える。色や模様も、写真よりよくわかる気がした。繊細な線といい色味といい、いくら眺めていても飽きなかった。「うさぎの飼育の仕方」なんていうのもイラストで解説されていて、これがなぜかとても好きで、うさぎ年の年賀状にせっせと模写をしたのを覚えている。


最近の図鑑はDVDが付いていたりして、映像でよりリアルな体験ができるのがウリだけど、あんまりわくわくしない。図鑑にはそういうのは求めていない。写真や映像は情報量が多すぎて、没入していけない感じがるすのだ。橋本治は『わからないという方法』で、写真や映像による説明を「編み物教室のお節介なおばさん」として、かえって理解を遠ざけてしまうものだと喝破したけど、まさにそんな感じ。


「解像度」という言葉が、物事の理解や知識の量を指す言葉として使われるようになったのはいつごろからだろう? 何かを理解するために写真や映像でその解像度を高めてしまうと、かえって理解の解像度は下がってしまうことがある気がする。




「ボタニカル・アート」は、植物への解像度を高めるための最適解といってよい。じゃが芋、とうもろこし、りんご、桃、柘榴……葉脈や茎の生毛、果実の光沢、艶を微細なニュアンスを細密に描いていく。伝えることにおいてムダのない、ミニマルな技術と視線。「芸術」を目的として描かれたものではないけれど、眺めていると豊かな気持ちになってくる。そういった視線で対象を観察し、自然のパーツを知ることは、やがてデザインや数多のクリエイティブにつながっていくことがわかる。


展示はボタニカル・アートから、近世〜近代イギリスの食文化を眺めるという試みで、アブラナ科の植物くらいしかなかったイギリスに、大航海時代以降に様々な果物やスパイスがもたらされ、食卓が彩られていく様子がわかる。茶がもたらされ、ハイティー、アフタヌーンティーという食文化が完成する。


最終章に「ブレジア=クレイ家のレシピ帖」という18世紀末のレシピノートが展示されているのだが、おいしそうな内容とともに、メアリ・ブレジアの端正な筆跡に「食いしん坊の執念」を見た気がして興味深かった。「解像度」とはそんなことから高くなるものなのである。



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